コメカブログ

コメカ(TVOD/早春書店)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

ヴィレッジヴァンガードと、アイロニーの問題

谷頭和希さんが書かれたヴィレッジヴァンガード(以下VV)についての記事を、面白く読んだ。

 

ヴィレヴァンが知らぬ間にマズいことになってた 「遊べる本屋」はなぜ魅力を失ってしまったのか | 街・住まい | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

 

しかしVVが提案していた「サブカル」って、世代によって受け止められ方がだいぶ違うのだろう。ぼくは1984年生まれで、ゼロ年代半ばぐらいに一番VVに行っていた。で、当時VV的「サブカル」プレゼンテーションって既に、半笑いな感じで受け止められていたと思う。本当にハードコアな人は行かない店というか。自分は当時「アンチ選民主義!汎用化されたチープ・サブカルがむしろ大切!」みたいなことを考えていたので、VV的な安っぽさがむしろ好きだったんだけど。

 

谷頭さんの記事の、「「サブカル」という言葉の輪郭が曖昧になるにつれて、その空間の演出も曖昧になってしまう」という記述はその通りだと思いつつ、「ヴィレヴァンにはどことなく「選民意識」みたいなものが流れている」というのは、自分の個人的な経験・体感とは結構ズレる。

 

「B級である矜持を持とう」的なアイロニカルな感覚・戦略は、ゼロ年代時点でVV店頭には既に感じられなかった。そしてあの頃VVに通っていた若者たちのほとんどが、体系的知識の圧や選民意識みたいなものをさほど気にしていなかったような気がする(根拠は無い。気がするだけ)。VV創業者の菊地敬一はハイカルチャーに対してのサブカルチャー(キャンプ、バッドテイストなもの含む)を生かした商売を志向していたんだろうけど、そういう対立構造自体が、ゼロ年代には既に理解しづらいものになっていたと思う。例えば80年代の戸川純と、ゼロ年代椎名林檎を見比べるだけでも浮かび上がってくるものがある。別にタコの「な・い・し・ょのエンペラーマジック」とナンバーガールの「赤軍派に感化される必要はない」(「NUM-AMI-DABUTZ」)との比較でも、何でもいい。とにかくアイロニーではなく、順接というか、ストレートに生産され・販売され・消費されるようになっていったのだ、サブカルチャーそのものが。

 

で、自分はそういう「アイロニーを理解できなくなったゼロ年代サブカル」が、その危うさ含め結構好きだったのである。VVの店頭で感じていたのも、そのような形をしたサブカル感覚だった。そういう無邪気な感覚が、選民意識とは違う何かを育む可能性を持っているように思えていた。ただ、この無邪気さがいつかベタな政治に遭遇したとき、洒落にならなくなるだろうとも思っていたんだけど。そして椎名林檎のその後の軌跡が、その具体例のひとつになった。

 

谷頭さんが言うように「時代が流れ、SNSを通じて人々の好みが多様化した現在、もはや「メイン」や「A級」という考え方自体が、ほぼ消滅してしまった」=情報環境の変化でメイン・サブみたいな構造そのものが成立し難くなったわけだけれど、問題はそこで「B級である矜持を持とう」みたいな70~80年代サブカルチャーアイロニーがどのような顛末を辿ったかにこそある、という気がする。押しつけがましい選民意識と言っても、そこで「B級」が志向される場合、どういう戦略や効果が生まれるか、ということ。ベタな選民意識なら、別にハイカルチャーだって良いわけで。問題は「多様化」という位相だけにあるわけではないだろう。

 

ハイカルチャーともコンビニエンスストアとも違う「B級」、というアイロニカルな「サブカル」戦略は、90年代終わりごろには既に、センス・エリート的な選民意識、タコツボのなかで硬直したイデオロギーになってしまっていたと思う。ゼロ年代VVの安っぽさ・俗っぽさ=「アイロニーを理解できなくなったゼロ年代サブカル」はむしろ、そうした硬直化を図らずも回避できていたというのが、自分の実感(過剰評価かもしれない)。70~80年代のアイロニカルな「B級」サブカル感覚が硬直化していく一方で、アイロニーを解さぬゼロ年代VV的な安っぽいサブカル感覚の方が、本来の「B級」の役割を、当時担っていたとは言えないか。

 

まあとにかくゼロ年代において、アイロニカルなセンス・エリート的サブカルチャー感覚は徐々に衰弱していったと自分は捉えている。宇野常寛ゼロ年代の想像力』は、そういう風景を描写した本としても読める。そして2010年代にはしかし、ゼロ年代VV的「B級」感覚もいよいよ耐用年数が切れた、ということなんだろう。たぶん。