コメカブログ

コメカ(TVOD/早春書店)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

クドカン・太田・たけし・糸井と、否定性について

戦後民主主義的なものに対する懐疑や反発の気分を、(ガス抜きとしての冗談であるという意味で)「安全」にギャグに落とし込んだのがツービートだったとして、ビートたけしに影響を受けた爆笑問題太田光は、お笑いが帯びるジョーカー性に惹かれそれを体現しようとしつつ、しかし同時に「戦後民主主義の子」という立場を一応保持し続けていると思う。

たけしは「アウトサイダーとしての芸人」的な措定の仕方を今でも利用するけども、かつてツービートがそうであったように、戦後的なものに依存した上でそれを揶揄しからかう構図そのものの「アウトサイド」に彼が行ったことは、これまでもずっと無かった。もちろんたけし自身が誰よりも、そのことについて自覚的だろうけども。芸人としてのビートたけしがやってきたのは戦後日本に対する「アウトサイダー風味の」幇間芸だったと思うし、それはその時代の芸人という在り方においてまったく正解だったと思う(「ビートたけし」は言うまでもなく、カウンターなアーティストではない。「北野武」の問題としてはまたちょっと話がややこしくなるけども)。

しかし戦後的なものはいよいよ本当に機能しなくなりつつあるわけで、例えば太田のような「戦後民主主義の子」性も、その在り方の意味自体が通じなくなってきているように思う。

 

平等思想・理想主義と、その裏にある差別や欺瞞の隠蔽がセットになった戦後民主主義的なるものに対して、右派なり極左なりからの(それ自体は正当なものももちろん含んだ)批判というのが連綿とあったわけだけれども、そういう歴史自体も、とてもわかりにくくなっているのが現状だろう。

例えば宮藤官九郎の作品世界も、そういう戦後民主主義性を如何にリフレッシュさせるか、というような志向を持っていたのではないか(師である松尾スズキが、差別や欺瞞の問題を徒手空拳で抉り出していたのと対照的に)。いま・ここを如何に「肯定」するか、という主題性自体は、宮藤の作品群において一貫して維持されているように思う。

いま・ここに対する「肯定」性こそが戦後民主主義的なるものの恐らくコアにあり、そこでは自己否定の力は弱々しい形でしか機能しない。その否定性の弱さをどう考えるか、という問題がある。しかし何らかの「肯定」無しには、日々の生活に力を生んでいくことはできないのも、また事実であるはずだ。

 

宮藤の新作『不適切にもほどがある!』は全編観終えるまで自分は判断を保留しているんだけど、80年代から現在までを、やはり「肯定」しようとしているわけで。宮藤は恐らく、現代的な倫理観の体裁(ここではあえて体裁と書く)に違和感があるのではなく、現代において自己否定の力が広く顕在していることに、抵抗があるのではないか。

そして太田光も、自己否定ではない力、「肯定」の力を志向する。彼はあらゆるものを「肯定」しようとする。誰もが自分自身を大切にするべきだ、と。ビートたけしは60年代に喰らってしまった自己否定のエネルギーを、お笑いという方法によって(開き直り的に)変換した。太田にとって根源的な動力になっているのは、そういう自己否定性ではないだろう。ビートたけしを通過したうえで「戦後民主主義の子」であろうとしたことにこそ、芸人としての太田の独特さがあったのだと思う。そこにもやはり、戦後民主主義性をリフレッシュさせるような可能性があったとは言えないか。

 

しかし、宮藤にしろ太田にしろ、彼らの表現が持ついま・ここへの「肯定」性が、いま現在そのものとどうにも上手く噛み合っていないように、正直感じる。ぼくは彼らにかなり思い入れがあるが、しかしやはりそう思う。「もはや戦後ではない」ことや、戦後民主主義的な欺瞞性への検討・批判が一般化して久しいことももちろんあるだろうが、先述したような自己否定の力の広い顕在化状況そのものにも、要因は恐らくあるはずだ。

 

そしてビートたけしとはまた異なるやり方で、自己否定のエネルギーに対して開き直り的に向き合ったのが、糸井重里である。たけしがお笑いという形で否定性の在り方・意味をねじ曲げたのに対して、糸井は否定性そのものを振り切る、無理やりにでも「肯定」性にフルベットすることで、70年代以降を生きようとした。80年代にたけしや糸井が「場」を掌握することができたのは、彼らがそうしたプロセスを経ていたからだ。

しかしある時期以降の糸井重里の言葉や振る舞いが持つ抑圧性は、まさにこの「肯定」性へのフルベットから生まれている。それはビートたけし的なボキャブラリーで言えば、「ずうずうしい」在り方、ということになるだろう。「犬も猫も、告発したりじぶんこそが正義だと言い募ったりしないんだ」と、「2012年の糸井重里」が口にしていたことの、抑圧性。

 

糸井の方法論=自己否定の暴力を脱するための開き直り的「肯定」性へのフルベットも、肥大化し惰性になっていけば、また別の暴力性を帯びるようになるのは当たり前のことだ。そのことを、再びの自己否定でもなく、たけし的な言語=在り方を変換された否定性でもなく、何か別の方法で乗り越えなければいけない。宮藤や太田がやってきたことにその方法の片鱗、可能性の萌芽はあったと思うのだが、しかし彼らもまたたけしや糸井が築いた「場」の重力から逃れ切れていない。宮藤らにももちろん世代的な限界があるわけで、それ自体は仕方のないことだ。むしろ、その限界のなかでもがいた軌跡をこそ、観客としてのぼくたちは改めてきちんと知るべきだろう。


そしてやはり新しい世代が、新しい方法を見つけ出していかなければならない。