ある時期以降の戦後日本的「サブカル」の矮小さこそが、自分にとっては一番リアリティを感じることができるものだ。いまも昔も。その場所から考え続けることを、最近改めて意識している。社会状況がひどくなり続けるなら尚更、そこから考え続けることにこだわる必要が、自分にはある。
取るに足らない「サブカル」としての自分が成立し得たのは、どのような歴史や社会があったからなのか。そしてそういう歴史や社会は、いま現在どういう転換のなかにあるのか。そこまでを考えながらやっていこうとすることで、どうにか折れずに生きていくことができる実感がある。
これからやってくるだろう状況のなかで、そういう自分自身の来歴や実感を手放さないようにすることを、改めて考える。そういうところからの言葉でしか、少しだけでも他人とコミュニケートし得ることも、少しだけでも社会を変え得ることも、できないだろうと思う。少なくとも自分のような人間には。