コメカブログ

コメカ(TVOD/早春書店)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

あえて「大人」になる

ぼくは今年で37歳になるが、自分が「大人になった」という実感が正直、無い。30代半ばの人間というのはもっと成熟し落ち着いた精神を手に入れているものだろうと、子どもの頃は思っていた。いま現在のぼくは「はやく大人にならなければ」といまだ常に焦っており、成熟とは程遠い形で毎日を生きている。

 

2003年のケラリーノ・サンドロヴィッチ監督作品『1980』に、「人間、大人になればみんな自然に大人になれると思ってるんだろうけど、実際、大人になってみな?人間ね、大人になったからって、大人になんかなれないんだから!」という台詞がある。年齢を重ねたからといって自動的に「大人」になれるわけじゃないんだ、という煩悶ともがき。

 

まあただ、そもそも「大人」というもの自体が、社会状況・構造によってその捉えられ方・在り方が変わってくる。共同体の成員としての「大人」なのか、近代的・理性的な主体という意味での「大人」なのか、などなど。しかしいずれにしろ、「大人」であろうとすると何らかの排他性を帯びてしまうことは、恐らくいつの時代も変わらないだろう。「大人」として生きようとする人々は常に、所属共同体の外側を、「近代的理性」以外の在り方を、疎外してしまう可能性がある。

 

先述した『1980』の台詞は、なんらかの共同体の成員にも、近代的・理性的な主体にも、とにかく「大人」と想定されるような在り方にどうにも至ることができない、という叫びとして読むことができる。ちなみに1980年代の日本のサブカルチャーにおいては、「子ども」的な在り方というのは度々テーマ化され、繰り返し表現されていた(KERAが80年代当時に組んでいたバンド・有頂天にも、「子ども」的なイメージやモチーフを扱った楽曲は多い)。本田和子らによる子ども論が注目を集めたのもこの頃である。

 

80年代というのは、共同体なり近代的主体なり、そういった枠組み・在り方に対する懐疑というものがそれまでよりは比較的広く共有され、表現された時期だったと言えるだろう。ポスト・モダニズムの(小規模な)流行、プラザ合意以降のバブル景気が生んだ浮遊感、そういう諸々が織りなす気分のなかで育まれた表現や感性が、いろいろとあった。「大人」として生きることから「逃走」しようというテーゼが、ポップなものとして受け止められたりもしたのだった。90年代以降には、こういう気分を新保守的な立場から批判する流れも生まれてくる。ただ少なくともある種のサブカルチャー領域においては、このような志向はその後も通奏低音的に流れ続けていたと思う(社会の問題よりも自意識の問題に過度に傾倒するような態度も含めて)。

 

しかし2010年代半ばからのこの数年、自分は「大人にならなければ」と思いながら過ごしてきたし、「大人になるべきだ」という旨の言葉をインターネット上でも何度も口にしてきた。一応リベラル左派を自認し、80年代サブカルチャーに思い入れを持つ=「子ども」的な文化に傾倒してきた自分が「大人」になることに執着するのは、共同体に積極参加するなり主体的なコミットメントを引き受けるなり、何がしか「大人」としての態度をとることが、構造破綻しつつある日本社会においては必要なんじゃないかと考えているからでもある。そういう態度がそのまま抑圧や排他性を生むことはたしかなのだが、それでも「あえて」今それを引き受けようとしなければ、この状況には対応できないんじゃないかと思っていた。

 

……思っていたというか、今でもそう思っているし、「近代」を永遠の努力目標として捉えるような感覚で、自分は「大人」を目指し続けながら一生を終えるだろうなという予感はある。そういう態度を批判される覚悟を持たなければとも思っている(さまざまな人々によるそれぞれの態度が関係を織りなし、相互批判や議論を繰り返していく社会を自分は望んでいる)。ただ、「あえて」やること、つまり「大人」になろうとする態度そのものがあらかじめ限界含みのものであると自分のなかで前提化しておくことは、言うまでもなく他人からは不可視である。「あえて」やってる人間も、ベタにやってる人間も、外から見たらほぼ変わらないのだ。限界を抱えながら他者や状況にコミットしていくつもりであっても、他人からは原理主義者にしか見えないことは往々にしてある。

 

この、「自分の態度の限界を自覚しながらコミットする・コミュニケーションする」ということを如何に成立させていけばいいのか、自分は正直よくわからなくなってきているところがある。

 

(つづく)