宮崎:「位置について」という意味のタイトルだけれど、その内容をわざと曲解して作っています。いわゆる世紀末の後の話。放射能があふれ、病気が蔓延した世界。実際、そういう時代が来るんじゃないかと、僕は思っていますが。そこで生きるとはどう言うことかを考えながら、作りました。
きっとそういう時代は、ものすごくアナーキーになっていく一方で、体制批判というようなことについて、ものすごく保守化しているんじゃないか。それはまだ失うものがあると思っているから。何にもなくなると、ただのアナーキーになっていって、のたれ死にが始まるんです。そういうものを紛らわしてくれるのは、「ドラッグ」や「プロスポーツ」や「宗教」でしょう? それが蔓延していく。そういう時代に、言いたいことを体制から隠すために、隠語にして表現した曲と考えてみた。ちょっと悪意に満ちた映画なんです(笑)。
宮崎駿が描いた、原発爆発・疫病パンデミック後の世界『On Your Mark』 | スタジオジブリ 非公式ファンサイト【ジブリのせかい】 宮崎駿・高畑勲の最新情報 (jpn.org)
1995年に発表された、宮崎駿監督・脚本によるCHAGE&ASKA「On Your Mark」プロモーションフィルムについての、宮崎の発言。彼が言う「自分の希望、ここだけは誰にも触らせないぞというもの」の表象が、本作では「翼の生えた美少女」として顕れるというのが、正直何とも言えない気持ちになってしまうが。しかし抑圧される時代における「希望」についての思考というのは、2021年現在でも……というかむしろ、今現在、よりアクチュアルな課題になっている。「病気が蔓延した世界」での「体制批判」の「保守化」、「そういうものを紛らわしてくれる」「プロスポーツ」。
「自民党の河村建夫元官房長官は31日、東京五輪で日本代表選手が活躍すれば、秋までにある次期衆院選に向けて政権与党に追い風となるとの認識を示した」
「新型コロナウイルスが感染再拡大する中での五輪開催に批判的な声があることには「五輪をやっていなくてもコロナが増えていたと思う」と主張し「五輪がなかったら、国民の皆さんの不満はどんどんわれわれ政権が相手となる。厳しい選挙を戦わないといけなくなる」とも語った」
「五輪がなかったら、国民の皆さんの不満はどんどんわれわれ政権が相手となる」という言葉は、我々は五輪も選手も関係者も、自党の弾除けに利用しているのだという、ハッキリとした意志表明であるわけだが。あらゆる意味で最低。
「政府は2日、新型コロナウイルス感染症の医療提供体制に関する閣僚会議を首相官邸で開き、入院対象を重症者らに限定する方針を決めた。肺炎などの症状がある中等症のうち重症化リスクが低い人は自宅療養とし、家庭内感染の恐れや自宅療養が困難な場合は、ホテルなどの宿泊療養も可能とする。デルタ株の広がりで新規感染者が1万人を超える日もあり、病床不足への懸念が強まっているため、事実上の方針転換となる」
菅首相「重症リスクの高い人以外は自宅療養」 政府、病床不足で方針転換 :東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
「新型コロナウイルス患者の入院要件を厳格化した政府方針について、田村憲久厚生労働相は3日の記者会見で、高齢者や基礎疾患がある人が自宅療養となる可能性があるとの見解を示した。これまでは原則入院だったが「比較的症状が軽く、リスクがそれほど高くない人は在宅も含めて対応せざるを得ない」とした」
田村厚労相「高齢者や基礎疾患ある人も自宅療養の可能性」 原則入院の方針転換<新型コロナ>:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
完全な政府の失策であり、棄民政策。こんな状況にも関わらず、オリンピックは続く。「肺炎などの症状がある中等症のうち重症化リスクが低い人」「高齢者や基礎疾患がある人」が個々の自宅に放置される状況と、五輪に国民が沸く状況。パラレルワールド化する社会。もちろんこれまでもこの国は社会におけるさまざまな存在を見捨ててきたわけで、現状はそれが全面化したに過ぎない、という見方もできる。
しかし菅義偉は記者会見において「感染対策でしっかりと対応することが私の責任で、私はできると思っている」と(子どものようなレトリックで)発言しているが、はたしてどのように「責任」を取るつもりなのか。失われた人命はどうやっても戻ることはない。
The Wants『Container』。ブルックリンのポストパンクバンド。骨と皮のような簡素な構造のニューウェーブ・ロック。非常に好き。