コメカブログ

コメカ(TVOD/早春書店)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

ZOC現状について雑感

ZOCの今回の件については、メディア上で可視化された情報が現時点ではあまりにも断片的過ぎて、断定的なことを言うのは難しい。ライヴで本人たちから説明のMCがあったらしいが、ぼくはそれを聞いたわけでもない(=MCという一次ソースに直接あたれていない)。しかしこのライブレポート記事(【LIVE REPORT】ZOC、メンバー同士の想いをぶつけ合った涙と決意の仙台公演 | StoryWriter)で、「大きな声を出してしまったインターネット上にあがっている音源については私の声そのものです」という大森靖子の発言がレポートされているから、件の音源が偽物・フェイクではない、ということは確実なのだろう。コンテクストがどうあれ、ああいう形で「大きな声を出してしまった」ことはパワーハラスメントでしかあり得ず、それは肯定されてはならない行為である。

 

メディアを介して伝達されていく音楽作品・表現と、その制作プロセスとしての具体的な共同作業・労働は、当然ながら連関している。だが今回のようにその後者の現場において問題が発生し、かつそれが断片的な形で公になっているような場合は、然るべき対処の仕方があるはずだ。音楽作品やライブパフォーマンスのなかに無理矢理組み込んだ形でその解決や言及を図ると、諸々の問題が表現としての「物語」やエモーションのなかに回収されてしまいかねない。やはり楽曲YouTube動画やライブMCのような形ではなく、まずはグループ・運営としてきちんとした公式コメント文書を出し、状況説明をするべきだと思う。その上で制作体制を再構築する必要があるのではないか(外部からは現時点でもその具体的な構造は不可視であるわけだが)。

 

作家としての大森には、他者からの視線によってではなく、自分で自分を見つめる視線を通して自己構築・自己改変することを目指す思想があると自分は考えている(そしてその思想を作品化する力において、ぼくは大森を現代日本サブカルチャーにおける重要作家と見做している)。今回の件についての断片的な情報のなかにもその思想は見えてくるし、そしてそういう作家としての大森自身がいまだ混乱のなかにあることを、個人的には改めて感じもした。だがそういった作家・作品という水準への批評は、労働現場における具体的問題の解決に対しては言うまでもなく無力である。バンドやアイドルグループのような制作形態には、個人名義の活動運営とは別種の困難が伴う。ましてや大森という強烈な力を持つ作家を中心にしたグループであれば、運営における適切な方法論を確立しない限り、パワーバランスや関係性の問題は生まれ続けるだろう。

 

どこまでいっても外野からの物言いにしかならないし、当人たちは既に百も承知なのかもしれないが、ZOCはやはり制作環境や方法論の具体的な見直しをするしかないのではないか。このままの形態で活動を続ければ、メンバーも作品・表現も、取り返しのつかないダメージを負ってしまうように感じる。ZOCはグループ内の関係性から「キャラクター」を生み出すのではなく、自立した「キャラクター」を各メンバーが自分自身で作り出し得る活動だと当初ぼくは感じていたのだが、ここまでの活動ではメンバー間の相互関係性の方がむしろ強調され、過剰な衝突が反復されてしまっている。更にインターネットを介したコミュニケーションゲーム=事実上のリアリティ・ショーにグループ活動そのものが現状飲み込まれてしまっており、そのことは今後、各メンバーの「キャラクター」の崩壊を招きかねないように思う。

 

現時点までの情報を参照して自分が考えたことを、ひとまず書いておく。