コメカブログ

コメカ(早春書店/TVOD/MicroLlama)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

20250318 ランダムノート

■R-1観た。観ながらぼんやりと感じたのは、よしもとの若手のノリがゆっくりと徐々に、アウト・オブ・デイトなものになってきているのかも、ということ。テレビバラエティにおけるダウンタウンパラダイム(?)がようやく終わることなんて別にいまさら大したことじゃないだろうと思っていたけど、もしかしたらそうでもないのかもな、と思った。といっても、80~90年代に組み上げられた型をベースにしたテレビバラエティというもの自体が、もうほとんど終わっているとも自分は思うけど。
友田オレのことはよく知らなかったけど、一本目のネタはなんというか、1990年前後の東京のサブカル系(というのもアレだが)お笑いのノリを連想させられる感があってよかった。微妙な寸止め感が、ビシバシステムやZ-BEAMを思い出すというか。


■The Normalの"T.V.O.D. / Warm Leatherette"(ぼくがやっているTVODというテキストユニットは、これから名前とってる)は、miniKORG 700Sと4trMTRのみで作られたという。これがDepeche Modeの1stになるとだいぶ機材増えてる。シーケンサーやリズムボックス(ハイハットのみとかの使い方が多い)も導入されるし。シリコン・ティーンズのときは使用機材よくわかんない。Minimal Waveっぽい当時のシンセバンドとかってリズムは大抵TR-606オンリーだったりして、それはそれでイイんだけど、初期MUTEはドラムキットがシンセで作られてて、ふくよかだ。ARP 2600で作ってたっぽい。


■自分は1984年生まれ=1998年に14歳、なので、1995年前後のサブカルチャーに強い思い入れを持つ人たちはちょっとだけ上の世代、という感じだった。1995年前後のサブカルチャーとは、渋谷系だったり、テクノだったり、松本人志だったり、別冊宝島だったり、COMIC CUEだったり、大人計画だったり、鬼畜系だったり、シネマライズだったり、なんかそういう諸々。あ、あとエヴァオウム真理教

 

■ぼくは「1998年」がめちゃめちゃ好きなんですよね。ちょい上の世代の人たちにとっては、あんま好きになれない年だったんじゃないかと思う。自分のなかの「1998年」、めっちゃプラスチックっぽい感じなんだよね。


■マコピさんがこないだ紹介してたHuman Hands、めっちゃ良い。
で、宝島の1980年2月号で、このバンドについてちょっとだけ言及されてるのを見つけた。LAFMSのバンドだったらしい。

 

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■個人で何か活動したい場合、人が沢山いて課金システムのあるソーシャルメディアでがんばるしかないという感じになってきているのが、かなりツラい。ウェブ以前にももちろん流通とか会場とかいろいろ制約はあったわけだし、そこに発生する「市場」に最適化せざるを得ないしんどさはあったわけだけど。ウェブはそこから個人を解放したかのように一瞬見えたけど、すぐによりシビアなテクノ封建制のなかに人々を閉じ込めるようになった。雑誌もウェブメディアももう成立し難い、ユーザーが沢山集まっている&課金システムのあるソーシャルメディア上で、いちアカウントとしてマネタイズしていくしかない、というのは現状認識としてはまったく正しいんだけど、しかしそれはまさにテクノ封建制を受け入れて生きていくという積極的選択でもある。もちろんそのルートしか、基本的には残されてないわけだけど。真っ当な労働条件や対価が保証されること(やりがい搾取にしないこと)は言うまでもなく大切だし、戦後日本のカイシャ共同体的なものをベースにした社会に問題があったことももちろんそうだけど、しかし大手プラットフォームのBANに生活そのものを左右される(そしてそれに対する抵抗の手段がほとんど無い)状況も、やはり問題含みだ。課金システムを備えること自体はインディペンデントにもやれるわけだけど、ユーザーが沢山集まっている環境を維持することは、結局大手資本でないと上手くいかない。現状において取り急ぎマネタイズしたいなら、そういう環境での最適化を目指しましょうね、という話になっちゃうわけだけど。それはテクノ小作人として生きていこうね、ということでもある……。なんかそうなってくると、インディとかオルタナティブとかってそもそもなんだったっけ? ってどうしても思っちゃうんだよなあ。素朴過ぎる発言であることは、わかってるつもりではあるが。


■貧乏でいいんだとは口が裂けても言わないが、貧乏はカッコ悪いみたいな価値観には全力で抵抗したい。


林家三平が『新人落語会』司会をやったのが1955年、淀川長治が『ララミー牧場』解説をやったのが1960年なのか。寄席や雑誌からニューメディア(当時はテレビ)へ。マクルーハンの"Understanding Media"が1964年。お笑い芸人がみんなYouTubeやり始めたのっていつぐらいからなんかな。2018~9年ぐらい? YouTubeのおすすめ動画群を自動再生し続けたり、実況配信を垂れ流して観るでもなく観たり、みたいな構図は、たしかにまあ「テレビ」っぽいのかな。かつてテレビタレントたちがお茶の間にとっての「友だち」だったように、ウェブ上に「なんかずっといるタレント」になりましょう、ってことになるよな、テキストだけでなくポッドキャストYouTubeに進出しましょうみたいな話って。2000~2010年代には「なんかウェブ上にずっといるタレント」をやるのはSNSアルファアカウントとか配信者、YouTuberとかだったんだろうけど、既存メディアのプレイヤーたちもみんな今後はそういう感じでやっていきましょうね、みたいになってるのが今なんかな。しかしかつての時代にも、テレビタレント化した芸人は本ネタやれなくなりがちだったと思うし、テレビタレント化したライターはまとまった論考書けなくなりがちだったと思うし、メディア上で「なんかずっといる」をやり続けるのって、たぶん片手間ではできないんだよな。

 

■現代、「なんかずっといる」をやり続けないといけない時代=自分に視線が集まる可能性の維持へのプレッシャーがすごい時代、でもある。「なんかウェブ上にずっといるタレント」をやろうとすると、そのプレッシャーはたぶんマックスレベルになる。あと、動画とかで顔出ししながら「なんかずっといる」の、やれる人とやれない人との間の(いろんな角度からの)条件差、めっちゃでちゃうよな。出したくても出せない事情を背負わされることは多い。いまはアバター使ったりもできるとは言え、ジャンルによっては実人物の絵面出せる方が有利になっちゃったりもするだろうし。テキスト使いこなす能力の有無も格差生むけど、スムーズに顔出しできるかどうかも格差生んじゃう。

 


■読んだ記事
AIでクローン音声を作成するサービスを提供する企業のなりすまし対策は不十分なことが調査で発覚

https://gigazine.net/news/20250311-ai-voice-cloning-no-safeguards/

 

デジタルメディアの「購入」で、われわれは何を買っているのか?https://www.gizmodo.jp/2025/03/digital-media-buying.html

 

アドテクによるターゲティングは「存亡に関わる脅威」であるhttps://p2ptk.org/privacy/5320