コメカブログ

コメカ(TVOD/早春書店)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

『お笑いの民主化史』メモと構想

「お笑いの民主化」の歴史について関心がある。ここでぼくが「お笑い」という言葉で想定しているのは、漫才・コントを持ち芸のメインとしたお笑い芸人たちが、戦後日本において作り上げてきた状況・環境、ぐらいの狭い範囲。その状況形成を決定づけた主要要因はなんと言ってもテレビ・ラジオといった電波メディアであり、お笑い芸人たちは60~70年代にそこで下地を作り、80~90年代にそこで革命を起こし、00~10年代にはそこを支配するようになった。そして現在ではウェブ上での新しい試行錯誤も、多くの若い世代の芸人たちによって行われている。この間に起こった流れを、先述のように「お笑いの民主化」の流れという角度から捉え検証することができないかと、自分は考えている。

 

なぜ「民主化」なのか?端的に言ってしまえば、この60年程の流れは「お笑い芸人」から聖性を剥奪し、「人」に変えていく歴史だったように、ぼくには見えるからだ。芸能から神通力を奪い、芸を市民の手に引き落としていくようなプロセス。客前で芸を披露し金銭を得る芸人という職業は、かつての社会においては一般人が積極的に選択するような道ではなかった(漫才やコントのような色物芸なら尚更)。「マトモな人間がやるもんじゃない」という差別意識によって穢れとして扱われ、しかしその差別にさらされた自らの身体や言語を駆使し、聴衆を笑わせその場を支配する。そこで芸を披露している一瞬だけ、超越的な聖性を帯びる存在。そういうものが、ぼくのなかにある「お笑い芸人」像だ。

 

しかしそういう芸人像は、現在においては成立しなくなっている。戦後の社会状況変化のなかで「お笑い芸人」はもはや被差別的な生業ではなくなり、80年代以降は芸能事務所が運営するお笑いスクールも多数設立され、近年では各大学サークルによる学生漫才・コントのシーンも盛んである。専門学校に行くような感覚でお笑いの学校に通う人々や、ロックバンドを組むような感覚で漫才やコントをやる学生が大勢現れるようになってから、もう数十年経過してしまったわけだ。アマチュアのコンビが漫才の賞レースで上位に勝ち進んだりすることもザラにある。

もちろん、素人による芸事というのははるか昔から連綿と存在するわけだが、ぼくが論点にしたいのは、芸人になる、もしくは芸人の真似事をするということが、人々にとって「趣味で週末芸術家になる」ようなことと殆ど変わらなくなっているという点である。そこには芸人・芸事に対する畏れの感覚は無くなっているように思う。少なくとも、芸人に聖性を見るような視座は間違いなく無い。そして当事者である若い世代のプロの芸人たちにおいても、それは同じことだと思う。やはり芸能も「民主化」されたということなのだろう。

 

もちろん、「マトモな人間がやるもんじゃない」というような差別的な視線が芸人に向けられなくなったのは良いことではある。職業に貴賤は無い。しかし、かつてはそうではなかったものが今はそうなった、という歴史の流れがここには間違いなくある。棄民であると同時に聖人でもあった芸人たちは、今では市民になったのだ。このプロセスを、市民社会化の歴史のひとつの側面として、流れを追って検証・確認してみたい。

萩本欽一が芸人を他タレントと同じ地位にまで持っていき、自分がそれをさらに押し上げ、芸人側がタレントを笑うような構図をつくった」という趣旨のビートたけしの述懐や、メディアアイドルとしてのとんねるずが持つ歴史的な意味、先述したお笑い学校の登場と浸透、いま現在の学生お笑いシーンやYouTubeにおける状況などを検証し追っていくことが、恐らくその方法論になり得るだろう。そしてプロの芸人たちが表現する笑いそのものにも、この歴史は反映されているはずだ。

 

徐々に手を付けていきたいと思っている。

本屋は何のために営まれるのか?

集英社講談社小学館の三社が、出版流通業を行う新会社を丸紅と共に設立する、というニュースが話題になっている。

 

AIで“出版流通改革” 集英社、講談社、小学館が丸紅と新会社 - ITmedia NEWS

 

いまのところは「年内設立予定で協議中」という情報しかないので、何がどうなるのかはもちろんまったくわからない。しかしこの「新会社」が本当に実現したら、既存書籍取次会社の立ち位置に大きな影響を与えることは間違いない。出版業界に身を置く人の多くが、この件の動向をとても気にしていると思う。

 

ものすごくざっくり言うと、戦後日本の出版業において出版社/取次(世間の小売業で言うところの問屋・卸業)/小売店のうち、これまでは大手取次の力が非常に強かった。例えば、委託販売条件の新刊書籍をどの小売店に何冊配本するかといった、売れ行きや市場在庫数の行く末を左右するような事柄についても、取次の決定権がとても大きいのだ(実際にはさまざまなケースがあるのだが、あくまで基本的にはそういう構図がある、という話)。ごく一部の大手出版社や大手書店チェーン(の大型店舗)を例外として、大抵の出版社や小売店は、大手取次が組み立てる配本構図をベースに動かざるを得ないのが現状である。

 

しかし先述のような動き、つまり出版社側が出版流通会社=取次機能を持つ会社を自主運営するようになれば、既存取次会社が現在の書籍の制作/流通/販売の流れから排除されることもあり得るわけで、業界の仕組みやパワーバランスが大きく変化する可能性がある。まあただこれもさっき書いたように、まだこの「新会社」自体も何の実態も見えないし、それが他出版社や各取次とどのように関係していくかもわからないので、現状では何も言えないんだけども。しかしここ最近の丸善ジュンク堂書店の大規模な取次帳合変更(楽天ブックスネットワークをメイン取次としていたすべての店舗について、トーハンもしくは日販に取次を変更)や、数年前からのKADOKAWAによる自社流通構造への模索なども含めて、出版業界にいよいよ大きな転換点がやってきている感がある。先のリンクにあるプレスリリースに「出版界は構造的な課題を抱え続けており、各部門に於いての改善が急務とされています」と書かれているように、合理化を推し進めムダを省き、構造を変えなければ立ち行かない現実に、この業界は直面してしまっている。

 

こうしたなかで個人的に改めて考えるのは、「本屋というのははたして、何のために営まれるのか?」ということ。自分自身もかつて十年ほど新刊書店に籍を置き、いま現在も小さな古本屋(新刊書籍も若干だが販売している)を経営している身であるため、この状況のなかでもぼくはやはりまず小売業務のことが気にかかる。

 

言うまでもなく、本屋を生業にする人間はみんな商売としてそれをやっているわけで、まずお金を稼ぐこと・生活することのためにそれは営まれているのであり、そのビジネス構造を健全化させることは(当たり前すぎる話だが)大切なことだ。それが上手くいかない限りは、従事する人々が報われる労働環境も、技術を向上させるための適切な教育システムも成立しない。端的にその構造に現状無理が出ているから、ギリギリの人員数で、取次から配本された書籍をただ並べるだけでも作業時間的に精一杯になるような労働現場も生まれてしまう。やる気があるスタッフも、そんな環境のなかにいたらどうしたって疲弊する。むしろ、何がしかの意識や能動性を持って本屋の仕事に取り組もうとする人であればあるほど、その疲弊に自分のなかの何かを折られていってしまうだろう。

 

しかし例えば、(そういう現状を打開するためにも)業務の合理化・効率化を数字第一で極度に突き詰めた場合、いつか最終的には「実店舗運営としての本屋経営そのものがムダ」という答えに辿り着いてしまうような気がするのだ(笑)。

書店運営というのは物理的な作業負荷も大きく(世間で想像されるよりも何倍も、この仕事は泥臭い肉体労働である)、根本的に不合理な要素を多く抱えている。しかし一応の理想としては、出版社/取次/書店/顧客の間にある相互性・コミュニケーションが具体的に反映される現場として、本屋というものはこれまで想像されてきたと思うのだ。アトランダムな顧客集客と、それを迎える書店員と、その背後に有機的に繋がり合う出版社や取次の人々との連関が、書店という場所、そこにある本棚に、結果として(非常に不合理で面倒な実作業の果てに)顕れてくる。実際それを実現できている書店がいま現在どれぐらいあるかということは別として、そういう場所としての本屋は、やはり理想像としては多くの人にイメージされてきたんじゃないだろうか。それが今後も理想像として持たれ続けるべきなのかどうかは、わからない部分もあるけれども。しかし本屋を利用する人間もそれを営む人間も、そういう場を求め愛してきたという歴史は確実にあると思う。

 

ムダを省いて業界構造を「改革」することが必要であり急務であることは間違いないにしても、しかし何がしかの「理想像」(それはこれまで通りのものかもしれないし、まったく新しい形のものかもしれない)を描いた上で(AIも含めた)新しい技術や体制を導入するのでなければ、単に経済的な合理化を推し進めるだけの結果に繋がりかねない気は、正直してしまう。「本屋(ひいては出版業)というのははたして、何のために営まれるのか?」という問題意識を、ひろく共有して語り合い共に考えることがやはり必要なんだろうなと改めて思う。「出版社/取次/書店/顧客の間にある相互性・コミュニケーションが具体的に反映される現場」としての本屋は今後も必要なのかどうか、もし必要であるならそれを如何にして実現するのか、きっちり考えなければいけない時期が来てしまったのだろうなと、強く感じている。

空想は重力を打ち消す ー熊倉献『春と盆暗』感想ー

言うまでもないことだけど、現実は現実でしかない。人は誰もが、目の前にある「いま・ここ」を生きることしかできない。ただ幸か不幸か私たちは人間であるために、目の前の現実に空想を重ね合わせたり、もしくは現実から離れて空想の彼方に心を飛ばしてしまったりすることがある。世界から逃げるためだったり、世界を捉え直すためだったり、様々な理由で人は空想の力を使う。

 

熊倉献『春と盆暗』に収められた四つの物語には、現実と空想が重なる瞬間が描かれている。私たちの誰もが逃れることのできない「いま・ここ」と、空想によって生み出された風景とが重ね合わされることによって、とりたてて特異な出来事が起きるわけでもない本作の各物語たちは奇妙な味わいを帯びる。現実と空想がまるで等価に捉えられているかのような世界観によって、「いま・ここ」の重力が解除されていくような感触が、この作品にはある。

 

更に特徴的なのは、作中の登場人物たちは皆、現実に重ねられた空想のなかにおいても出会い、コミュニケーションを交わすということだ。単行本冒頭に収められた「月面と眼窩」に登場するサヤマさんは、現実に苛立つたびにやたらと「手をグーパー」して、空想のなかの月面で道路標識を投げる。アルバイト先で彼女に出会ったゴトウくんは、「月面が針山になるとアレなので」=サヤマさんの現実への違和感が臨界を超えてしまうことを心配して、「どうにかしなくちゃ」と思い悩む。ふたりが生きる現実は空想の月面とシームレスに繋がっており、そこでこそサヤマさんとゴトウくんは出会う。バイト先だけでなく月面でも出会えたからこそ(そのコマで、商店街の風景に空想の月面が重なり、ふたりは共にそこに降り立つ)、ふたりは互いに交感し、ゴトウくんの片思いで始まった恋はその形を変えていく。

 

他の三つの物語においても、人々は空想のなかにひとりで引きこもることはない。みんな水死体になってしまう水中都市が、高校球児で活気づく仙人掌が、粉砂糖による粉塵爆発で荒野になった街が、現実世界を生きる登場人物たちの視界に重なり、彼らはそれを共有する。空想の共有を通して互いが抱える何かに触れることで、現実における関係性に変化が訪れるのだ。

 

そのなかでも、「仙人掌使いの弟子」には特に不思議な感触がある。この物語は他三作と若干構図が異なっており、さわさんという女性と、彼女に対して憧れにも似た恋心を抱くススムくんというふたりのお話なのだが、ここにもうひとり矢野くんというキャラクターが登場する。矢野くんはクラスでイジメにあっており、ススムくんはそれを止めたいのだが、どうしたらいいのかわからない。しかしさわさんが空想の赴くままに語っていたあるウンチクを記憶していたことで、ススムくんは偶然に矢野くんを救うことになり、ふたりは友人になる。

 

他三作で起きる関係性の変化とは具体的には男女間の恋愛の進展なのだが、「仙人掌使いの弟子」においては、さわさんがホラのように広げまくる空想が、ススムくんの、そして矢野くんの現実における日常を、恋愛とは違う位相においても変えていくのである。そこには、例えばイジメに象徴されるような「いま・ここ」の閉塞を、空想の世界を共有することによって解除していくような、不思議な爽やかさがある。さわさんの空想からススムくんが受け取ったものが、ススムくんの現実だけでなく、矢野くんの現実をも変えていくような豊かな可能性が、そこには描かれている。

 

私たちが捕らえられた現実に空想を重ねることで、その重力を打ち消し、互いにそこでコミュニケーションを試み、出会い直すこと。「いま・ここ」に捕えられた私たちは、そうやって恋愛や、友情や、そしてそれらとはまた異なる様々なコミュニケーションの可能性に、飛び込んでいくことができる。さわさんが周囲からは(愉快な)ホラ吹きだと思われているように、空想の世界を広げる人を世間は奇異の目で眺めることも多い。でもこの『春と盆暗』が描いたように、一見単なるホラ話にしか見えないような空想こそが、私たちの現実における閉塞を救い、人間同士を繋ぎ直す、とても大切な鍵なのである。

郊外の私

もう10年以上東京都内に暮らしている。大学を出て社会人になってから、最初の8年ほどは池袋周辺を転々とし、5年ほど前からはずっと西東京にいる。もともと自分は埼玉の浦和のあたりで育ったこともあって、池袋や西東京のなんというか地味な雰囲気はとても居心地がいい。特に西東京の風景というのは完全に郊外の景色なので、結局自分が落ち着けるのはこういう場所なんだなあ、と思ったりしている。

 

ぼくは生まれてから4~5歳ごろまで、目黒駅と祐天寺駅のあいだのあたりにあった、父親の会社の社宅に住んでいた。関西出身者の両親は、ぼくが生まれるのと同時に父の転勤で東京に引っ越し、地縁の無い環境のなかで子育てを始めた。物珍しさで、週末にはぼくを連れて東京の各所を車で見て回ったりしていたらしい。

 

そしてその後、家族で埼玉の浦和に引っ越すことになる。ぼくは1984年生まれなので、たぶん88年頃のことになるはず。浦和にも別に地縁があったわけではないから、父と母は、ベッドタウンとしての利便性や諸条件を考慮して土地を選んだだけだったのだろう。それ以来社会人になるまでずっとそこで暮らしていたので、実質的にはぼくは埼玉出身の人間である。

 

しかしこの東京から埼玉へ、という移動の経験は、幼児期の自分にとって非常にショックなものだった。もちろん子どもだから何が何やらわかっていなかったのだが、埼玉で暮らすようになったときに「ここには何もない!街がスカスカだ!」と思ったことをものすごくよく憶えている。幼い自分にもわかるぐらいに、目黒や祐天寺、そして親に連れられて回った80年代半ばの東京は、凝縮性・濃度が高い空間に見えたのだろう。人や店やいろいろなものが濃密に集中していた東京と比べて、埼玉の郊外的な風景はいかにも空っぽであるように見えた。

 

ちなみに余談だが、そういう経験からぼくは「1980年代の東京」に対して子供の頃から妙なノスタルジーを抱くようになり、思春期に入るころには当時の文化について調べたり、雑誌やレコードの収集に熱中するようになる。

 

ただ、そもそも地縁も何も持たずに、父の勤め先の都合で移動していただけの核家族であった我が家にとっては、埼玉の郊外=土地の関係性や歴史が希薄な場所の方が、確実に生きていきやすかった。あとから母に聞いたことだが、東京は生活するには楽しい場所だったけれども、やはりそこに代々住んでいる人々と、一時的な移住者に過ぎない自分たちとの違いを意識する場面は多かったという。ぼくは子どもだったからそのへんのことは当時何もわからなかったが、それでも浦和のあたりがいろんな意味で地域的な関係性が希薄な土地であることぐらいは、育っていくなかでだんだん理解していった。そしてそういう根無し草的な感覚は、自分の人格形成にも深く影響を及ぼしていると思う。

 

東京というのは今も昔もぼくにとって、濃度が高く歴史や関係性が複雑に折り重なった都市としてある。ぼくはそういう東京に触れるのが大好きだけど、でも自分はその重層性のなかには入れないし、入りたいとも思わない。郊外的な空間のなかで、根無し草的にスタンドアローンで生きることが自分にとっては最もしっくりくる。あくまでその感覚を前提に、その上で何がしかの共同性や公共性にコミットできないか、というのが自分の関心であり、だからこそ国分寺で古本屋の実店舗を始めた。濃度の高い「中心」としての東京はいまでも多くの人を惹きつけているが、その「周縁」部分の空っぽさの方にこそ、ぼくは興味がある。

 

人が地縁や歴史から解放され、「ひとり」になれる、ということに、やはり希望を見たいのだ。もちろん相互扶助的な機能を持つ共同体のなにがしかの形での形成や、「ひとり」で生きるためのセーフティネットの構築は重要な課題である。しかし自分はやはり根本的に、空白のなかを「ひとり」で生きることを、ポジティブに捉えたいと思っている。そういう「ひとり」同士として出会い、互いの「ひとり」さを尊重し合えるような関係性をつくりたい。

 

そして、いま現在のコロナ禍において、東京各所の景色はどんどん変わりつつある。その変化には様々な位相があるけれども、「資本力を持つ者だけが生き残る」という事実の加速が、そこにはひとつ確実にある。市民生活の実相に向かい合おうとしない小池都政や菅政権に対して抗議しつつも、しかしそういう過酷で具体的な現状を私たちはそれぞれ日々乗り切るしかない。今回書いたようなことを考えながら、ぼくは毎日東京の西側で暮らしている。

4月の現状

前回更新から二か月も経ってしまった。とにかく忙しかったのもあるのだが、なんというかこう、Twitterやブログに対して色々考え過ぎてしまいがちになっていたところもある。ちょっと方針を変えて、「とりあえず書き残しておく」という感じでしばらくまた定期的に更新する。ブログは当初想定していたように、まあだいたい週一回ほど書くつもり。

 

先ほど出た速報、4都道府県に対して緊急事態宣言発令の政府方針が確定とのこと。4月25日から5月11日までの予定であるらしい。しかしもう改めて言うまでもないが、政府も各地方自治体も、市民の生活を置き去りにして場当たり的かつ無根拠なコロナ禍対応を延々と繰り返している。ちなみにIOCのバッハがこの緊急事態宣言は「東京オリンピックとは関係がない」と言ったらしいが、関係ないわけないだろ。何を言っとんだ。バッハは5月17、18日に来日する予定らしいが、菅は揉み手と満面の笑みで迎えるのだろうな。彼もまた「緊急事態宣言を発令しても東京五輪の開催には影響しない」と発言した。何を根拠にこんなことを言ってるのか。
「子どもにでもわかる現実」が、権力によって何事もなかったかのように捻じ曲げられ否認される。頭がおかしくなりそうだが、いちいち怒って抗議するしかない。

 

前回ブログ更新以降に発表したものや参加したものいくつか。

QJ WebでのTVOD連載、二本。
『花束みたいな恋をした』と菅首相長男の違法接待から“社会と個人”について考える - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ
物語は終わって、社会が始まる──『シン・エヴァンゲリオン劇場版』から考えたこと - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ

 

TBSラジオ『文化系トークラジオ Life 恋と仕事と文化系~「花束みたいな恋をした」論』にコメカソロで出演。
恋と仕事と文化系~『花束みたいな恋をした』論|TBSラジオFM90.5+AM954~何かが始まる音がする~ (tbsradio.jp)

 

現代ビジネスに、コメカソロで寄稿。
大ヒット『花束みたいな恋をした』、有村架純のセリフをすべての大人が噛みしめるべき理由(コメカ) | 現代ビジネス | 講談社(1/6) (ismedia.jp)

 

インディーズ雑誌『つくづく別冊①』特集=友だちと互助会に、TVODで参加。
『つくづく別冊①』特集=友だちと互助会 | インディーズ雑誌『つくづく』vol.3 (stores.jp)

 

など。お仕事のご依頼お待ちしております。

『花束みたいな恋をした』についてやたら考えた二か月であった。先日始まった『大豆田とわ子と三人の元夫』も楽しく観ている。それ以外にも『おちょやん』等、かなり色々考えながら観ているドラマが現状いくつかあるので、また改めて色々書くつもり。

 

なぜかプログレがマイブームになってしまい、ゴングやVDGG、ナショナル・ヘルスなど聴く日々。ただ、自分はもともとニューウェーブ/シンセポップが好きなんだけど、いわゆる80年代サウンドではなく、70年代的な音像を実際のところ好んでいるのだと思う。FMシンセでリン・ドラム、みたいな感じの音、別に思い入れないのよ。前述のようなバンドたちも、1979年のニューウェーブロック(=アフターパンクのアートロック、としてのニューウェーブ)に至る道筋として改めて聴き直しているのだった。

 

自分が経営する古本屋、早春書店は日々とにかく一生懸命仕事をして、頑張って運営している。いろいろ面白い本が揃ってますので、お店やウェブストアを覗いてみてください。古本買取のご依頼もぜひ。
古本屋 | 早春書店 | 日本 (so-shun-shoten.com)

 

とりあえず最近はこんな感じだ。しかしこのぐらいのテンションで書くとなると、一週間と言わず数日置きに更新するかもしれん。ではまた。

否定しがたい「ヌルさ」 ー映画『花束みたいな恋をした』感想ー

『花束みたいな恋をした』を観た。評判を聞く限り、現代社会批評っぽい内容(しかもかなり批判的な)なのかな~と思ってたんだけど、鑑賞してみて個人的に抱いた印象はそれとはちょっと違った。

そしてなんというか、主人公である麦と絹はあらゆる意味で「ヌルい」ふたりなんだけど、ぼくはこの「ヌルさ」を否定したくない……というかできないし、この作品そのものも、そういう「ヌルさ」を擁護している映画であるような気がした。

 

この作品の構造は非常に単純で、

 1.カルチャーに傾倒する大学生の男女、麦と絹が偶然に出会って意気投合し、

 2.趣味を共有できる喜びのままに恋愛関係を結び、同棲し、

 3.しかし麦がイラストレーターの夢に挫折し、就職したことからふたりにスレ違いが生じ、

 4.ふたりは別れ、そして今はそれぞれに新しい別の恋人と過ごしている

という展開を辿る。

この1と2の場面において、既に多くの人が言及しているように、麦と絹を繋ぐ諸々の作品名・作家名=カルチャーは「ベタな世間とは違う自分」を確保するための記号としてしか劇中で機能しない。基本的にそのほとんどが入れ替え可能であり、言及される個々の作品・作家の具体的な性質は、映画の物語構造・展開にほぼ作用していない。

 

麦と絹は「好きなもの」を精神的な双子のように共有できる喜びに夢中になるが、それらの作品や作家の内実について語り合ったり、意見を戦わせたりする様子が劇中で描かれることはない。ふたりの関係のなかには他者性が無い。

彼らはアクセサリーの様に「好きなもの」を身にまとい、共有し、同棲する部屋をそれらで埋め尽くす。この光景を、文化表現の本質(とははたして何か、という問題もあるのだが)を摑まえられずに記号消費に明け暮れているだけだと笑うことは容易いし、事実ふたりはそういう表層的な消費行為から先に進むことのできない凡庸な人間として描かれる。

そして3の段階において麦は「好きなもの」を身にまとう生活から脱落し……というか、脱落することこそが「社会化」であると考えるようになり、絹との関係性に亀裂が入る。4に至ってふたりは、自分たちの関係性は、「好きなもの」を共有することでしか、それに埋め尽くされた部屋を共有することでしか繋ぎ留められない類のものだったことを自覚したと言える。「文化」に対しても「社会」に対しても、そしてお互いに対しても「ヌルい」向き合い方しかできていなかったふたりの時間は、人生における猶予期間としてしか機能し得ないものであり、「夫婦」「家族」といった関係性への発展可能性がないものであることが示される。

 

つまり本作は古典的な青春期における挫折の物語であるわけだが、肝心なのはその「青春」の時間、つまり麦と絹の「ヌルい」モラトリアムの時間を、どう捉えるかだと思う。「ふたりには文化に対する勉強や努力、執着が足りなかった」「ふたりには社会の厳しさやリアリティに対する自覚、それに対峙する強さが足りなかった」といった批判的な受け止め方が妥当ではあるだろう。そしてそれらの視線は、ほかならぬ麦・絹自身が劇中の展開のなかで内面化してしまった視線でもある。前者のそれを絹は麦に(就職したことでイラストを描かなくなる麦に絹は失望する)、後者のそれを麦は絹に向ける(転職についての絹の甘い見通しを麦は非難する)。

しかし先述したように、ぼくはふたりのこの「ヌルさ」・凡庸さを否定できない。ありがちで、才能も無くて、自意識過剰で取るに足らないふたりの「ヌルさ」を、ぼくは否定することができない。「文化」に対しても「社会」に対しても「ヌルい」ふたりの姿は確実に戦後日本における大衆像の一側面であり、そして自分自身も少なからずそのように生きてきてしまったと感じるからだ。卓越化することなく、文化に対する「消費者」という構図のなかでつまらない自意識を持て余す。異質な他者との対話や軋轢に耐えられず、互いの自意識を慰めるように似た者同士で寄り合う。この不毛な在り方はしかし、戦後日本社会が相応に達成した「平和」の一部分としてあったものでもあり、そしてそれは今や政治的・経済的な環境変化により失われつつあるものでもある(ただもちろん、そういう戦後的「平和」の裏側には沢山の欺瞞や、国内外の存在に対する抑圧行為が伴っていたわけだが)。そういう不毛を、「完全に無駄な時間だった」とは言いたくない気持ちが自分にはある。その不毛が沢山の人に生きられたことを「なかったこと」にはせずに、それを前提にしてこれからの時代が生きられていくべきなのではないかと思っている。そのことはぼくにとってまったく他人事ではなく、当事者的な問題としてある。なので、自分にはふたりを否定したり断罪したりする資格が無いように感じるのだ。これまでの「ヌルさ」に自覚的になった上で(反省や償いもそこでは必要になる)、これからをどう生きていくかを考えることしか自分にはできない。

 

物語終盤、ファミリーレストランで語り合うふたりが、変わってしまった自分たちに気がついて慟哭する場面よりも、交際を終えてから共に過ごした最後の三ヶ月の描写の方に、ぼくは引き込まれた。恋愛関係を終えて、麦と絹は古い友人同士のように、「好きなもの/好きだったもの」に囲まれた部屋のなかで「終わりある日々」を共に過ごす。そこでは出会った頃のように笑顔が戻る。甘くて「ヌルい」モラトリアムの時間に終止符を打ち、相手を自らの写し絵のように捉えることを放棄したふたりは、喪失の痛みの後で再び生き直し始める。このシーンに至って本作はようやく、「異質な他者との共存」の光景を描くことになる。部屋に溢れる「好きなもの」たちは、もはや世間と自分たちを分け隔てるための記号としてあるわけではない。それらは他人同士であるふたりの周囲に、ただそれそのものとしてあるだけだ。別れた後に麦も絹も恐らくは「自分とは違うタイプ」の恋人と付き合っているのも、同質的な関係性に依存することからふたりがそれぞれ脱したからだろう。ファミレスでウザ絡みしてきたおじさんからの受け売りレコーディング講釈を異口同音に語る麦と絹は(ふたりとも、それぞれのパートナーからは気の無い返事しか得られない。双子のような共鳴はそこにはない)、どちらもつまらない大人になりつつある。しかしあの部屋での愛すべき「ヌルい」時間があったからこそ、彼らはつまらない大人への道を正しく歩み始めることができたのではないか。ふたりの凡庸な(とりあえずの)着地点・現在地を描いているという点をもって、この映画はやはり、あの「ヌルい」5年間を精一杯擁護しているようにぼくには思えるのだ。

 

ラストシーン、Googleストリートビューに映ったあの頃のふたりの姿を、麦はかつて自分がそれを体験したときのように周囲に見せびらかしたりはしないだろう。その画像は彼にとって、他人の承認を得るための記号ではなく、入れ替え不可能で大切な、かけがえのない記憶そのものであるはずだから。

「ちゃんと負けてみる」ってのはどうだろう?

「ちゃんと負けること」って、はたしてどういうことだろうかと最近よく考える。

 

勝ち組・負け組」という言葉が流行したのは今から15年ほど前のこと(2006年の「ユーキャン 新語・流行語大賞」にて、「勝ち組・負け組待ち組」が14位にランクインしている。「待ち組」は猪口邦子少子化男女共同参画担当大臣(当時)が、フリーターやニートなどを「挑戦せずに様子をうかがっている人」として呼びつけた言葉らしいが、個人的にはこのフレーズについてまったく記憶が無い……)。主に経済的な格差の問題が、勝ち・負けと二項対立的にフレーズ化されていたのが当時の状況だったわけだが、日本のゼロ年代前半における新自由主義の前景化をいかにも象徴するような流行語だったと言える。

 

「負け組」というフレーズは、基本的には誰もそこに自己投影したがらない、ネガティブなものだ。所得格差における具体的な数字の問題以前に、この言葉が持つどうにもイヤな感じが、「自分はそこに陥りたくない」という心情を人に抱かせる。「負け組」だけは絶対にイヤだ、そうはなりたくないという焦りと陰鬱な気持ちを、この言葉は聞く者のなかに呼び起こす。

 

だが、「負ける」ことって、はたして本当にそんなに悪いことなんだろうか?もちろんわざわざ言うまでもないが、「勝ち組・負け組」という言葉で表象されたような格差社会化は間違いなく政治・経済の水準において是正されるべき問題であり、そしてこの言葉が生まれた15年前よりも明らかに状況は悪化している。「負け組」と呼ばれるような立場に人を落とし込む制度を変えていくこと、困窮している人をサポートすること等が極めて重要である。ただ、生きていくなかで「負ける」ことを徹底的に避け続けるのって、そもそもめちゃくちゃむずかしいはずだ(だからこそセーフティネットをきちんと用意することが大切なのだ)。経済的な問題においてだけでなく、例えば自意識の水準においても、「負ける」ことを避け続け、「自分は勝ち組だ」なんて思い続ける人生って、どんなもんだろうか?

 

少し話が逸れるが、TwitterみたいなSNSにおいては、例えばサブカルチャーについての考え方の違い等、ちょっとしたことでのアカウント同士の衝突・ケンカというのが頻発する。そしてそういう衝突において、対話を通してその議題を煎じ詰めることよりも、相手を論破し「勝つ」ことだけが目的化しているケースというのも多い……というか、ほとんどがそういうケースであるような気がしている。たしかに、議論において覚悟を持って自分の意見を相手にぶつけることは大切だと思う。しかしそういう覚悟を持つことと、論破を目的化し「負けてしまったら自分は終わりだ」みたいな考え方をすることというのは、ちょっと別の話である気がする。後者の心情というのは、先述した「「負け組」だけは絶対にイヤだ、そうはなりたくないという焦りと陰鬱な気持ち」に捉われているだけのものなんじゃないか?

 

経済問題においては誰も「負ける」べきではないが、自意識の水準においては、場合によっては適切に「負ける」やり方だってあるんじゃないか?「ちゃんと負けること」によってむしろ楽になれたり、物事をきちんと直視できるようになったりすることだってあるんじゃないか?というようなことを、最近ずっと考えている。例えば自分より下の世代の人間が生まれてくること、自分では思いつかなかったような考え方や行動の仕方をその人々が編み出していくこと、そういう新しい動きや流れに「ちゃんと負けること」によって、自分の自意識をおだやかに弔っていくこともできるんじゃないか?

 

個人的な体感として、(自分も含めた)中年男性には、やはりこういう「ちゃんと負けること」が下手な人が多いような気がしている。なんでもかんでもマウントを取って勝とうとしたり、また逆に極端な自己卑下によって物事を直視しようとしなかったり、「男の子のプライド」を肥大化させこじらせてしまっている人というのがやっぱり多い。「ちゃんと負けること」で、そういう硬直化を乗り越えられる可能性があるのではないか。自意識の水準で「ちゃんと負ける」ことって、脅えるような怖いことでは実はないんじゃないか。もちろん、自意識はそれそのものとしてだけ独立したものではなく、経済や社会における問題と繋がったものではあるから、話は単純ではないんだけども。今後またしばらく考えてみる。