コメカブログ

コメカ(TVOD/早春書店)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

本屋は何のために営まれるのか?

集英社講談社小学館の三社が、出版流通業を行う新会社を丸紅と共に設立する、というニュースが話題になっている。

 

AIで“出版流通改革” 集英社、講談社、小学館が丸紅と新会社 - ITmedia NEWS

 

いまのところは「年内設立予定で協議中」という情報しかないので、何がどうなるのかはもちろんまったくわからない。しかしこの「新会社」が本当に実現したら、既存書籍取次会社の立ち位置に大きな影響を与えることは間違いない。出版業界に身を置く人の多くが、この件の動向をとても気にしていると思う。

 

ものすごくざっくり言うと、戦後日本の出版業において出版社/取次(世間の小売業で言うところの問屋・卸業)/小売店のうち、これまでは大手取次の力が非常に強かった。例えば、委託販売条件の新刊書籍をどの小売店に何冊配本するかといった、売れ行きや市場在庫数の行く末を左右するような事柄についても、取次の決定権がとても大きいのだ(実際にはさまざまなケースがあるのだが、あくまで基本的にはそういう構図がある、という話)。ごく一部の大手出版社や大手書店チェーン(の大型店舗)を例外として、大抵の出版社や小売店は、大手取次が組み立てる配本構図をベースに動かざるを得ないのが現状である。

 

しかし先述のような動き、つまり出版社側が出版流通会社=取次機能を持つ会社を自主運営するようになれば、既存取次会社が現在の書籍の制作/流通/販売の流れから排除されることもあり得るわけで、業界の仕組みやパワーバランスが大きく変化する可能性がある。まあただこれもさっき書いたように、まだこの「新会社」自体も何の実態も見えないし、それが他出版社や各取次とどのように関係していくかもわからないので、現状では何も言えないんだけども。しかしここ最近の丸善ジュンク堂書店の大規模な取次帳合変更(楽天ブックスネットワークをメイン取次としていたすべての店舗について、トーハンもしくは日販に取次を変更)や、数年前からのKADOKAWAによる自社流通構造への模索なども含めて、出版業界にいよいよ大きな転換点がやってきている感がある。先のリンクにあるプレスリリースに「出版界は構造的な課題を抱え続けており、各部門に於いての改善が急務とされています」と書かれているように、合理化を推し進めムダを省き、構造を変えなければ立ち行かない現実に、この業界は直面してしまっている。

 

こうしたなかで個人的に改めて考えるのは、「本屋というのははたして、何のために営まれるのか?」ということ。自分自身もかつて十年ほど新刊書店に籍を置き、いま現在も小さな古本屋(新刊書籍も若干だが販売している)を経営している身であるため、この状況のなかでもぼくはやはりまず小売業務のことが気にかかる。

 

言うまでもなく、本屋を生業にする人間はみんな商売としてそれをやっているわけで、まずお金を稼ぐこと・生活することのためにそれは営まれているのであり、そのビジネス構造を健全化させることは(当たり前すぎる話だが)大切なことだ。それが上手くいかない限りは、従事する人々が報われる労働環境も、技術を向上させるための適切な教育システムも成立しない。端的にその構造に現状無理が出ているから、ギリギリの人員数で、取次から配本された書籍をただ並べるだけでも作業時間的に精一杯になるような労働現場も生まれてしまう。やる気があるスタッフも、そんな環境のなかにいたらどうしたって疲弊する。むしろ、何がしかの意識や能動性を持って本屋の仕事に取り組もうとする人であればあるほど、その疲弊に自分のなかの何かを折られていってしまうだろう。

 

しかし例えば、(そういう現状を打開するためにも)業務の合理化・効率化を数字第一で極度に突き詰めた場合、いつか最終的には「実店舗運営としての本屋経営そのものがムダ」という答えに辿り着いてしまうような気がするのだ(笑)。

書店運営というのは物理的な作業負荷も大きく(世間で想像されるよりも何倍も、この仕事は泥臭い肉体労働である)、根本的に不合理な要素を多く抱えている。しかし一応の理想としては、出版社/取次/書店/顧客の間にある相互性・コミュニケーションが具体的に反映される現場として、本屋というものはこれまで想像されてきたと思うのだ。アトランダムな顧客集客と、それを迎える書店員と、その背後に有機的に繋がり合う出版社や取次の人々との連関が、書店という場所、そこにある本棚に、結果として(非常に不合理で面倒な実作業の果てに)顕れてくる。実際それを実現できている書店がいま現在どれぐらいあるかということは別として、そういう場所としての本屋は、やはり理想像としては多くの人にイメージされてきたんじゃないだろうか。それが今後も理想像として持たれ続けるべきなのかどうかは、わからない部分もあるけれども。しかし本屋を利用する人間もそれを営む人間も、そういう場を求め愛してきたという歴史は確実にあると思う。

 

ムダを省いて業界構造を「改革」することが必要であり急務であることは間違いないにしても、しかし何がしかの「理想像」(それはこれまで通りのものかもしれないし、まったく新しい形のものかもしれない)を描いた上で(AIも含めた)新しい技術や体制を導入するのでなければ、単に経済的な合理化を推し進めるだけの結果に繋がりかねない気は、正直してしまう。「本屋(ひいては出版業)というのははたして、何のために営まれるのか?」という問題意識を、ひろく共有して語り合い共に考えることがやはり必要なんだろうなと改めて思う。「出版社/取次/書店/顧客の間にある相互性・コミュニケーションが具体的に反映される現場」としての本屋は今後も必要なのかどうか、もし必要であるならそれを如何にして実現するのか、きっちり考えなければいけない時期が来てしまったのだろうなと、強く感じている。