コメカブログ

コメカ(早春書店/TVOD/MicroLlama)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

80年代における、ニューウェーブとポスト・ニューウェーブとの、距離感

50年代生まれのプレイヤーたちが中心になった80年前後のニューウェーブのムーブメントには、いろんな意味で「68年」なり対抗文化なりの記憶がかなり反映されていて。そこから数年後、60年代生まれのプレイヤーたちが中心になったナゴムには、上の世代とはまた異なる独特のアイロニー感覚があったと思う。
YMOYMOチルドレン(のなかには、戦後民主主義的なものを最良の形で表現した作家が多くいると思う)の距離感にも近い。鈴木慶一氏がかつて、サイケデリックニューウェーブを両方体験できた幸運、みたいな話をインタビューでしていたと思うんだけど、それはある世代までしか体感し得ない話なわけで。

第二回ナゴム総決起集会のチラシに「俺たちの街(ロック)、日本語のロック&フォーク」というコピーが書かれている。このギャグ感覚(とぼくは捉えてる)は、例えば東京ロッカーズの頃にはあり得なかったはず。60年代対抗文化的な文脈をも脱臼させようとする意欲があったということだと、自分は考える。

いわゆるYMOチルドレンのなかには戦後民主主義的なものを最良の形で表現した作家が多くいる、と書いたけど(高野寛THE BOOMらを想定している)、アイロニカルな表現を多用したナゴム関係のプレイヤーたちにも、核の部分では実は同じような作家的資質を抱えた人たちが多くいると、自分は考えている。

ナゴム関係のプレイヤーの方々自身はこう言われるのを嫌がると思うけど、そのような作家的資質とはつまり、「優しさ」という言葉で表現できるような資質である。それをアイロニーで包むか否かで、ナゴム的方向とYMOチルドレン的方向が分岐するようなイメージ。ここには世代的共通体験の問題もあるはず。

ではそれより上の世代、50年代生まれのプレイヤーたち(年少時にサイケデリックを体験し、パンク・ニューウェーブ期にはプレイヤーになっていたような世代)が共有し得たものとはなにか。それは脱社会的な感覚だったのではないかと思う。既存システムからの、(ときにはエクストリームな形での)離脱。

その脱社会的感覚には「68年」的な叛乱の記憶からの水脈があったと思う。そこにはやはり極めて強い激しさがあって、東京ロッカーズなり、関西NO WAVEなり、吉祥寺マイナーなり、坂本龍一「Riot In Lagos」なりに、そういうものを感じる。先述したような「優しさ」とそれらとの間には、やはり距離がある。

しかしそうした類の激しさを、80年代消費社会は消費財として残酷に捕捉していくわけである。「自主制作盤」は「インディーズ」に変わっていく。その出口の無さを突破するためには、アイロニーやシニカルな笑いが必要だった、という側面は確実にあるはずだ。2025年からは極めて掴みづらい文脈だが。

84年生まれの自分は、後追いで見た歴史のなかにあった激しさやアイロニーにももちろん惹かれつつ、しかしその流れのなかで顔を出してくる「優しさ」について、強く考えるようになったのだった。この「優しさ」はどこから来たものなのか? 60年代生まれのプレイヤーたちは、なぜそれを表現し得たのか?