次の土曜日に、下記のイベントに出演します。
『ケラ逃げ前夜祭! 40周年ナゴム入門』
9/21(土 )19:00 SUPER DOMMUNE(渋谷パルコ9F) dommune.com
会場観覧チケット近日販売
TALK: ケラリーノ・サンドロヴィッチ まゆたん 松永天馬(アーバンギャルド) コメカ(TVOD、Micro Llama)
DJ: 山下メロ コスプレ声ちゃん
「ナゴム入門」ということで、KERAさんにさまざまなお話を伺えればと思っています。良いイベントになるよう、自分も頑張ります。山下メロさんと声さんのDJもたのしみ。ぜひご覧いただけましたら!
で、この機会に、自分にとっての有頂天・ナゴムの話をベースにした、個人史を書いておこうかと思います。マジで単なる個人史でしかないので、お時間のある方だけ読んでいただければと……。
ぼくは1984年生まれで、有頂天やナゴムを完全に後追いで知りました。そもそもは中学生になったあたりでポップミュージックに興味を持って、電気グルーヴを熱心に聴くようになったんですね。「Shangri-La」がヒットして、『A』が批評的に高い評価を得ていた時期でした。
で、家の近所の本屋に、電気の単行本『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』があって(この時点で発売から割と時間が経っていた本なんですが、この本屋は郊外にある普通の店なのに、なぜか妙にサブカルっぽい品揃えをしていて。たぶん店員さんにそういう趣味の人がいたんだろうなと……)。電気の前身バンド・人生についての記述をこの本で読んで、有頂天やナゴムについてはじめて知ったんだと思います、たしか。
同じころに、中古CD店で有頂天の『ピース』を見つけました。Q盤じゃなくて、オリジナルのやつ。500円とかそんな値段だった気がします。彼らについてまだよく知らなかったので、レジに向かう前に「テクノっぽい音なのかな? それにしてはジャケットに写っているメンバーが多いけど……」と思ったのを憶えています。有頂天はロックバンド編成であるってこともちゃんとわかってなかったんですね。何とも言えない奇妙な味わいのジャケットデザインに、音を聴く前から想像を掻き立てられました。
家に帰り、自室のラジカセに『ピース』のディスクを入れて、再生しました。ゴーッというノイズっぽいシンセ・リフが流れ、だんだんスローダウンしていきます。が、突然景色が変わって、ひんやりした不思議な色合いの曲が急に始まりました。この時点で自分はもう「ウワーッ!!」となってしまっていて、このときの衝撃を、今でも忘れることができません。
これはマジであまりにも極私的な話なのでここでは詳しくは書きませんが、自分は幼少期に見た80年代の風景に、小学生のときから何故か異様に固執していて。ポップミュージックにハマる前から、自分にとっての「80年代」を感じるものに触れることがすごく好きだったんですが、『ピース』を聴いたときに、「これこそが自分が探し求めていた『80年代的なもの』だ、幼い頃に垣間見た『80年代』だ!!」となってしまって。もちろん、小さい頃に実際に『ピース』を聴いたことがあったわけではなく、完全にこのとき初めて聴いたわけですが。架空のノスタルジーというか、サウダージ感覚のようなものを、当時の自分は有頂天の音楽世界に見出したんだと思います。90年代末の子どもにとって、近過去である80年代が、すごく遠い時代に感じられたということもあったのかもしれません。
この体験がたしか中学二年生、1998年の終わりぐらいのときだったと思うんですが、これ以降の自分は、有頂天のことが常にアタマの中心にあるような毎日を送ることになりました。有頂天やナゴム周辺の音源を少しずつ集め、関連する古本・古雑誌を読み、当時リアルタイムのKERAさんやナゴム関連バンドたちの動向も追い始めました。KERAさんが紹介していた、音楽以外の諸々の文化にも手を出すようになり、特に無声喜劇映画には異様に没頭して、高校時代は当時のマイナーな喜劇人の作品を観る手段を探し回っていました(いまではYouTubeに大量にアップされていますが……)。
またこの頃『東京ニューウェーブ・オブ・ニューウェーブ ‘98』というCDが発売されたりして、若い世代のニューウェーブやテクノポップのバンドたちの動きが盛り上がってきていたんですね。この流れにも自分はめちゃくちゃ興奮していたんですが、雑誌でPOLYSICSのハヤシさんが『有頂天を殺せ!』の話をしていたり、SKYFISHERの中山さんがインタビューのなかでナゴムに少し触れたりしているのを読んで、「わ〜!」となったりしてました。
たつろーさんの「ぱちーの」を始めとした、自分より上の世代の方々が作るKERAさんや有頂天、ナゴム関連のウェブサイトも熱心に見て回りました。特に「ぱちーの」はめちゃくちゃ熟読していて、内容をかなり暗記していました(笑)。すごくいろんなことを知ることができて、本当に感謝しています。同じころに『Quick Japan』で平田順子さんの「ナゴムの話」の連載が始まり、これもまた熟読し、単行本版を何度も何度も読み返しました。
そんな感じで有頂天やナゴム、80年代サブカルチャーやらテクノポップやらにどんどん触れていったのですが、特にKERAさんが表現する世界に、だんだんとより深く惹かれるようになっていきました。はじめは自分にとっての「80年代」を感じたことがきっかけだったわけですが、徐々にこう、世界の見方そのもののレベルでKERAさんの表現の影響を受けていったんだと思います。勝手に。
このことも書き始めると膨大な分量になってしまうのでここでは深くは触れませんが、KERAさんの作品が持つ「不条理や混沌、あっけらかんとしたニヒリズム、そしてそういった諸々の向こう側にある、ほんのひとかけらの希望」が、十代の自分を生き延びさせてくれた実感が本当にあります。ぼくだけじゃなく、そういう人が沢山いるんじゃないでしょうか。十代後半の時期、正直ぼくはかなり人生が上手く行かなかったんですが、そんなことどうでもいいや! 自分もKERAさんや有頂天やナゴムに関わったバンドたちみたいに、この先自分が作りたいものを絶対作るぞ! みたいな気持ちで毎日過ごしてました。KERAさんが作って繋いでいったさまざまな表現世界に触れることの方が、現実の苦しさを凌駕するぐらい圧倒的におもしろかった。自分は単なるいちファンに過ぎませんが、めちゃくちゃ感謝しています。勝手に。
で、ハタチになって、ピノリュックというニューウェーブ・テクノポップバンドを始めました。たくさんのメンバーが参加してくれて、ギターの吉田仁郎くんはいまはサエキけんぞうさんとのジョリッツなどのバンドで、ベースの石垣翔大くんはプログレッシブハードフォークバンド・曇ヶ原で活躍しています。活動中には本当にたくさんの方々にお世話になったのですが、今回のイベントでご一緒するまゆたんには特に、めっちゃくちゃお世話になりました。というか、今もなり続けています。いろいろなことを教えてくれた、人生における大切な先輩だと思ってます。そして天馬さんやメロさんとも、航空電子のタバタさんが企画したオムニバス・アルバム『東京ゲリラ』で当時ご一緒したのでした。みんなそれぞれのやり方で作りたいものを作り続け、やりたいことをやり続けていることに、グッときます。ナゴムに後追いで影響を受けて活動をはじめてみたことが、同じようにナゴムに後追いで影響を受けた人、リアルタイムでナゴムを追っていた人、ナゴムから当時リリースしていた人、そして新たにナゴムを知った自分より更に若い世代の人と、さまざまなおもしろい人たちに出会わせてくれました。
その後ぼくはパンスくんとTVODという批評ユニットを組んで、『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)などでサブカルチャー批評に取り組んだり、国分寺で早春書店という完全インディペンデントの小さな古本屋を経営したりしているんですが、この足取りも確実に、とにかく自分がやりたいこと・作りたいものに固執し続けるっていう、自分なりにした解釈したナゴムイズムに影響を受けたものとしてあると思っています。
ぼくは80年代とかナゴムとかニューウェーブとか言うわりにやたら暑苦しくウェットなことばかり話すので昔からみんなに煙たがられがちなんですが、この文章もだいぶそういう感じになってきてしまったので、このあたりでやめておきます。
土曜日のイベントが良いものになるよう、少しでも貢献できるようがんばります。是非ご覧ください。
あと最後に、またどうしてもテクノポップをやりたくなったので、Micro Llamaというバンドを吉田仁郎くんとカケヒくんの元ピノリュックメンバーふたりと動かし始めました。デモ曲をつくったのでよかったら聴いてみてください。9/28には大久保ひかりのうまでライブもやります!