コメカブログ

コメカ(早春書店/TVOD/MicroLlama)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

日々のかなしみ

「生きるかなしみ」みたいなものをぽつぽつと言葉にする経験というのが、現代生活のなかにもっと必要なんじゃないかと最近よく思う。

なにもかもが照射されてしまうような喧騒はとっくに立ち消えているのに、(かつてのそういう喧騒のなかで嫌悪されたような)かなしみを言葉にしたり受け入れたりする方法は、失われたままだという気がする。自分が激しく傷ついてきたことを少しずつ受け止めていくような方法そのものが、どの世代においても見えなくなっているというか。

なんでも飲み下すべきだということではもちろんなくて、少しずつ痛みに向き合ったりそれを解きほぐしたりする方法というのも、人間にはやはり必要なんじゃないかということ。当たり前のことかもしれないが。

ぼくは自分が生まれた「1980年代」に、とてもアンビバレントな気持ちがあって。人間人形感覚のなかに逆説的に情感が浮かび上がってくるような、工学化される身体のなかにこそ喜びやかなしみが染み出してくるような、なんというかそういうイメージを、この時代に対して勝手に見出していたようなところがある。後追いの形で。

そういう逆説めいた感覚に何かを見出したり託したりしようとすること自体が、今ではもう耐用年数切れなのかもしれないけど。しかし自分はどうしても、「1980年代」以降の道筋から「かなしみ」みたいなものをオミットした未来像を描くことには抵抗がある。ああいう底抜けに明るい時代が来たことがそもそも如何に哀しいことだったか、と考える立場でありたい。あそこを起点に今後のオプティミスティックな未来を想像するような立場には、やっぱり立つことができない。そして後者のような立ち振る舞いが成立してしまうことと、(この言葉はマジックワード的でよくないけれど)新自由主義的で子どもっぽく乱雑な言説がいま現在の日本のメディアに溢れていることとは、決して無縁ではないと思う。