コメカブログ

コメカ(TVOD/早春書店)のブログ。サブカルチャーや社会のことについて書いています。

日々のかなしみ

2023年になった。ブログを定期更新しようと思いながら結局ぜんぜん書けていない。今年からはあまり考えずに、メモ的に適当に書くようにしようと思う。

 

ここ最近の仕事。

文春オンラインにドラマ『エルピス』についての記事を寄稿。

bunshun.jp

 

日刊サイゾーに『M-1グランプリ』についての記事を寄稿。

www.cyzo.com

 

TVODが『TV Bros. 2023年2月号 コミックアワード号』にて、おすすめ漫画作品をそれぞれ三作品ずつ紹介。コメカ紹介作品は、とよ田みのる『これ描いて死ね』・もぐこん『推しの肌が荒れた もぐこん作品集』・胃下舌ミィ『僕の心がチューと鳴く』。

tvbros.jp

 

TVODが文藝 春季号に、「村上春樹の語られ方 批評とサブカルチャー史」という記事で参加。コメカは論考『春樹を眼差す「男の子」たち』を、パンスは年表+解説『シティポップと偽史から読み解く 村上春樹年表』を、それぞれ執筆。

www.kawade.co.jp

 

サブカルチャー批評やその他書き物のお仕事、ご依頼お待ちしております。よろしくお願いします。

 

SNSについては、Twitterを開く頻度がいよいよ減り、ゆるやかにMastodonを眺める程度になりつつある。Twitterはもう情報共有や告知等に使うぐらいしか難しいだろうなと思う。SNSをベースとした2010年代的状況というのも、どこかのタイミングできちんと振り返らないとやはりマズいだろうな。

 

「生きるかなしみ」みたいなものをぽつぽつと言葉にする経験というのが、現代生活のなかにもっと必要なんじゃないかと最近よく思う。

なにもかもが照射されてしまうような喧騒はとっくに立ち消えているのに、(かつてのそういう喧騒のなかで嫌悪されたような)かなしみを言葉にしたり受け入れたりする方法は、失われたままだという気がする。自分が激しく傷ついてきたことを少しずつ受け止めていくような方法そのものが、どの世代においても見えなくなっているというか。

なんでも飲み下すべきだということではもちろんなくて、少しずつ痛みに向き合ったりそれを解きほぐしたりする方法というのも、人間にはやはり必要なんじゃないかということ。当たり前のことかもしれないが。

ぼくは自分が生まれた「1980年代」に、とてもアンビバレントな気持ちがあって。人間人形感覚のなかに逆説的に情感が浮かび上がってくるような、工学化される身体のなかにこそ喜びやかなしみが染み出してくるような、なんというかそういうイメージを、この時代に対して勝手に見出していたようなところがある。後追いの形で。

そういう逆説めいた感覚に何かを見出したり託したりしようとすること自体が、今ではもう耐用年数切れなのかもしれないけど。しかし自分はどうしても、「1980年代」以降の道筋から「かなしみ」みたいなものをオミットした未来像を描くことには抵抗がある。ああいう底抜けに明るい時代が来たことがそもそも如何に哀しいことだったか、と考える立場でありたい。あそこを起点に今後のオプティミスティックな未来を想像するような立場には、やっぱり立つことができない。そして後者のような立ち振る舞いが成立してしまうことと、(この言葉はマジックワード的でよくないけれど)新自由主義的で子どもっぽく乱雑な言説がいま現在の日本のメディアに溢れていることとは、決して無縁ではないと思う。

 

上記はMastodonでのトゥートをまとめ直したもの。今後はMastodonに日々いろいろメモして、定期的にブログにまとめておこうと思う。気が向いたらMastodonアカウントもフォローしてください。

mstdn.jp

 

今年もよろしくお願いします。